伯父から聞いた静雄さんのお話


伯父との会話で静雄の話が出た(平成12年8月26日)。

今年89歳になる伯父は伊東静雄とは4歳違いで、中学校の頃静雄に英語を習っていました。

お互いいとこ同士で、大村の中学校・佐賀の高等学校から京都帝国大学へとその進路も静雄の後を追い、卒業後旧制中学の教師になったのも同じでした。 先日、入院したと聞いて、お見舞いに行き、久しぶりに会った時、若いころの話、特に伊東静雄に関する話を聞いてきました

以下は,私が家に帰ってから思い出しつつメモしていた内容です。
 
*お母さんが立派だったこと

*英語を教えてもらいにいった時、静雄の友達が来て、2階の山の見える部屋で、寮歌を歌っていたこと

*諫早の町中を友人達と三人で、さっそうと闊歩している姿が印象に残っていること

*自分の作った詩に節をつけて、浪々と謡っていたこと(伯父はその節を覚えていて、実際謡ってみせてくれた)  

*詩集の出版記念会で、三好達治?が反論したこと、そのあとの打ち上げで中原中也と一緒に最後まで飲んで、中也の家に泊まったこと

*静雄が大阪の高校に就職した時、書類に記入する漢字がわからず、事務員にそんな字も知らないのかといわれ、そんな漢字は習っとらんもん、といったこと

*髪の毛はぼうぼうで、生徒からこつじき(乞食)といわれていたこと

*伯父が諫早高校に勤めていた時の同僚に風木雲太郎氏(詩人、諫早高校校歌を作詞)がいて、彼に伊東静雄の詩集を見せたら自分の詩集と交換してくれといわれたが、とんでもないと断ったこと

  、、、などなど
 
ただ私の記憶も不確かで、他にもいろいろ尋ねたいこともあり、せっかくの機会なので伯父へ静雄に関する質問状を送りました。